憾満ヶ淵(かんまんがふち)は、栃木県日光市に位置する美しい渓谷であり、古くから不動明王の霊地として知られています。
この場所は、男体山から噴出した溶岩によって形成され、川の流れが不動明王の真言を唱えるように響くことからその名が付けられました。
憾満ヶ淵は、慈雲寺や霊庇閣などの歴史的な寺院と共に、多くの訪問者を魅了し続けています。
また、松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅の途中で立ち寄ったことでも知られ、現在では日本国の名勝にも指定されています。
自然美と歴史が融合したこの地は、訪れる人々に静寂と荘厳な空気を提供しています。
憾満ヶ淵【かんまんがふち】 日光市 国指定名勝
日光山の憾満ヶ淵【かんまんがふち】は、国指定名勝です。
非常に綺麗な景観でゴミひとつなく、厳かな空気を感じました。
栃木県日光市にあり、男体山由来の溶岩が大谷川の水流で削り出されて形成された地形で大谷川沿いの一帯を指します。「もうひとつの日光」という史跡探勝路の一部です。
憾満ヶ淵の案内板
憾満ヶ淵 【国指定名勝】 |
かんまんがふち |
日光山 輪王寺 【世界遺産】作成の案内板 |
男体山から噴出した溶岩によってできた奇勝で、古くから不動明王が現れる霊地と言われています。川の流れが不動明王の真言を唱えるように響くので、晃海大僧正が真言の最後の句の「カンマン」をとり憾満ヶ淵と名付けたと言います。 晃海大僧正は、この地にこの地に慈雲寺や霊庇閣、不動明王の大石像などを建立し、往時は参詣や行楽の人で賑わいました。元禄2年(1689)、俳聖「松尾芭蕉」も、奥の細道行脚の途中に立ち寄っています。 大谷川の対岸にある巨石の上には、かつて高さ2メートルの不動明王の石像が置かれていましたが、明示35年(1902)9月の洪水で流失してしまいました。その台座ともなっていた巨石には「カンマン」の梵字が彫られていることが今も見ることができます。この文字は日光山修学院学頭で養源院住職であった山順僧正が書いたものです。 「含満」とも書くので「がんまん」と濁って読まれることが多いのですが、命名の由来を考えると「かんまん」と澄んで読むほうが正しいのです。 |
憾満ヶ淵の読み方
憾満ヶ淵を流れる水の音は、まるで不動明王の真言を唱えているかのように感じられ、そのため真言の終わりの語句「カンマン」を名付けました。憾満と含満は当て字で表現されています。含満という漢字表記からは「がんまんがふち」と呼ばれることが一般的ですが、名前の由来を考えれば、「かんまんがふち」の方が正確であると言えます。
憾満ヶ淵の歴史
憾満ヶ淵は古くから不動明王の霊地として知られています。この場所は、天海(慈眼大師)の高弟である晃海(こうかい)僧正によって、承応3年(1654年)に開かれたものです。晃海僧正は、憾満ヶ淵に慈雲寺や霊庇閣(れいひかく)、不動明王の石像などを建立しました。これにより、多くの人々が参拝や行楽に訪れるようになりました。なかには、松尾芭蕉も「おくのほそ道」の旅の途中で立ち寄ったことがあります。
1902年(明治35年)の大洪水により、慈雲寺本堂、霊庇閣、化地蔵の一部が流されてしまいました。しかし、慈雲寺本堂と霊庇閣は1970年代に再建されました。
1986年(昭和61年)、憾満ヶ淵はとちぎの景勝百選の40番目に選ばれ、「含満ヶ渕(憾満ヶ渕)」として認められました。そして2014年(平成26年)には、「ガンマンガ淵(慈雲寺境内)」がおくのほそ道の風景地の1つとして、日本国の名勝に指定されました。
少し上流側の景観です。
淵への落ち込み部分です。泡の白と岩の黒、木々の緑とそれ以上に濃い深淵のグリーンが素敵です。
淵の出口には小さな滝から水が流入しています。
日光東照宮の近くの宿泊施設
楽天トラベルで探す!
周辺のおすすめスポット・施設
憾満ヶ淵の近くのスポット・施設を紹介します。
並び地蔵(化け地蔵)
霊庇閣から上流、下流方向に、薄暗い木立の中に数多くの地蔵が一列に並んでいます。これらの地蔵は、「化地蔵(ばけじぞう)」、「並地蔵(ならびじぞう)」、「百地蔵(ひゃくじぞう)」、「百体地蔵(ひゃくたいじぞう)」などと呼ばれています。特に化地蔵は、同様な地蔵が複数体並んでいることから、「何度数えても数が合わない」ということに由来する説と、仏教用語の「抜苦与楽」の「抜苦」が変化して「化」になったとする説があります。
これらの化地蔵は、日光山の歴代の僧侶の菩提を弔うために天海の弟子たちが制作しました。全てが座像で、川の方を向いています。苔に覆われ、赤いよだれかけをしている点が共通していますが、首の向きや表情は地蔵ごとに異なり、一部は首を下げていたり、正面を向いていたり、首をかしげていたりします。また、時代の経過に伴い顔の線刻が薄くなっています。
昔は約100体程度存在したと言われていますが、1902年(明治35年)の洪水で一部が流され、現存する地蔵は約70体程度となっています。流された地蔵の中には、化地蔵の先頭に並んでいた「親地蔵」も含まれており、親地蔵は頭部のみが川床で発見され、「御首」として浄光寺に安置されています。
更なる詳細はサイト内の別記事を参照ください。
慈雲寺
晃海大僧正が建立した仏教寺院の慈雲寺は輪王寺の一院です。
霊庇閣
霊庇閣は、慈雲寺本堂から上流に位置しており、憾満ヶ淵を見下ろす場所にあります。この霊庇閣は、対岸の巨岩の上にあった不動明王の石像に護摩供養を取り行うための護摩壇でした。
しかし、霊庇閣も慈雲寺本堂と同様に1902年(明治35年)の洪水で流失してしまい、再建されたのは1971年(昭和46年)のことです。憾満ヶ淵は急流が多い場所ですが、霊庇閣の前だけは水流が緩やかになっています。
霊庇閣の対岸には、「カンマン」という梵字が刻まれた岩があります。晃海が、山順僧正(日光山修学院学頭・養源院住職)の筆による「カンマン」の梵字を岩に刻ませたものです。
しかし、晃海の発音が空海に似ているためか、「弘法の投筆(なげふで)」として伝えられてもいます。
「弘法大師が筆を投げて、岩に梵字を掘り付けた」という伝説です。
巨岩の梵字をじっと睨んで探してみましたが、私にはどこに梵字が書いてあるのか解りませんでした。
中央右側の建物が霊庇閣です。
アクセスと駐車場
栃木県日光市匠町 憾満ヶ淵へのアクセスと駐車場情報を紹介します。
JR日光駅、東武日光駅からは、西に距離で2.5kmくらいです。
下の地図の中央が憾満ヶ淵です。
日光東照宮はこの地図の外側の右上(北東)で、神橋は地図中央を流れる大谷川の下流(右側)憾満ヶ淵から1.2kmくらいにあります。
JR日光駅、東武日光駅は右側(東)に2.5kmくらいです。
日光東照宮付近の駐車場を予約
ハイシーズンは【akippa】で事前予約!がおすすめです
憾満ヶ淵の南に化け地蔵が並んでいることを紹介しましたが、サイト内の化け地蔵の記事に駐車場の詳細情報が記載されていますので、こちらが大変参考になります。憾満ヶ淵まで歩いて50秒の駐車場情報も載っています。参考にしてください。
憾満の路(かんまんのみち)
日光総合会館は日光市ウォーキングセンターとして運用されていますが、日光総合会館に憾満の路(かんまんのみち)の案内板があります。
この看板は南向きに設置されているため、上は南、北は下なので注意してください。
憾満の路は、以下のルートで、東照宮そばの日光市ウォーキングセンターから大谷川の南側を歩き、憾満ヶ淵 並び地蔵を通り大日橋まで行って大谷川の北側を戻って日光市ウォーキングセンターまで戻る一周5.0kmのルートです。
途中にバス停も沢山あり、いろいろなアレンジも可能なルートです。
憾満の路のルート
なお、寂光滝ハイキングコースはこのルートとは少し違う、黄色の国道122号線の北側をめぐるルートになります。案内板の下の方のルートです。
早速憾満の路に行く^^
楽天トラベルで日光東照宮周辺のホテルを探す
日光憾満ヶ淵の紅葉状況
2024年の日光憾満ヶ淵の紅葉の見ごろは11/5ごろとの予想です。
日光憾満ヶ淵の最新の紅葉状況はこちら