栃木県日光市に位置する国指定史跡「勝道上人の墓」は、日光山輪王寺の境内にあり、豊かな歴史と文化を感じさせる場所です。
勝道上人はこの地の宗教文化に大きな影響を与えた人物であり、彼の生涯や業績は多くの人々に語り継がれています。
本記事では、勝道上人の墓の歴史的背景や開山堂の特徴、周辺の観光スポットについて詳しくご紹介します。
日光を訪れる際には、ぜひ立ち寄りたいスポットです。
国指定史跡 勝道上人の墓 日光山輪王寺
日光山輪王寺の開山堂(勝道上人の墓)は、栃木県日光市にある国指定史跡です。
勝道上人の墓の案内板
勝道上人の墓 【国指定史跡】 |
しょうどうしょうにんのはか |
日光山 輪王寺 【世界遺産】 |
日光開山の祖、勝道上人(735-817)は、弘仁8年(817)3月1日に83歳で遷化され、仏岩で荼毘にふされました。当初、上人の遺骨は仏岩谷の上方に埋葬されましたが、東照宮鎮座のおり、開山堂が建てられ遺骨もここに移されました。五輪塔の台には『勝道上人之墓』と刻まれています。また、隣にある三基は、上人の弟子のお墓です。 |
勝道上人の歴史
勝道上人の墓は、栃木県日光市にある日光山輪王寺の境内にある国指定史跡です。
勝道上人は、31歳の時に下野薬師寺を出て1年の修行の後、『男体山』を目指しました。途中、『大谷川』が谷深く急な流れのため『二荒山』に進むことが出来ず、神仏に祈り、神の助けにより川を渡ったという伝説があります。この伝説の橋が現在の『神橋』です。
大谷川を渡った勝道上人は二荒山に寺を建て、この寺(四本竜寺)が『輪王寺』の起源となっています。
その後も修行を積んだ勝道上人は、3度目の挑戦で男体山の頂上に登り付き、その後中禅寺湖の畔に『神宮寺』を建て、自作の『立木観音』を本尊に奉り、『二荒山神社』を創り上げました。
勝道上人は、多くの弟子を育てたことと、日光山輪王寺の開山として、この地域の宗教文化に大きな影響を与えた人物です。
勝道上人は、弘仁8年(817年)に83歳でこの地で亡くなり、案内板の通り開山堂に埋葬されています。
開山堂はそびえ立つスギなどの木々とともに、厳かな雰囲気を醸し出しています。
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開山堂の場所
開山堂は日光東照宮の北側で滝尾寺ウォーキングコースの途中の観音堂(産の宮=香車堂)、仏岩、陰陽石のすぐ近くにあります。
下の写真の左上の無料駐車場は5台程度が駐車できて1番近いです。
空いていると楽ですね。
開山堂、仏岩、観音堂、陰陽石付近の拡大地図です。
無料駐車スペースから林の中を歩いていけます。
なお、滝尾時ウォーキングコースは、6月から10月はヤマヒルに注意ください。
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周辺の他の施設
勝道上人の弟子のお墓
勝道上人の弟子のお墓は開山堂の隣にあります。
陰陽石
開山堂の近くに陰陽石があります。
陰陽石の記事(内部リンク)はこちらから
仏岩
勝道上人の墓の奥に仏岩があります。
仏岩の記事(内部リンク)はこちら
香車堂(日光山輪王寺観音堂)
開山堂の隣に観音堂(産の宮=香車堂)があります。
観音堂(産の宮=香車堂)の記事(内部リンク)はこちらから。
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