2025年8月26日、長年にわたり世界中のファンに愛されてきた日産GT-Rがついに生産終了を迎えました。
最後の1台が栃木工場でラインオフされたというニュースは、多くの人に驚きを与えたのではないでしょうか。
「なぜGT-Rは生産を終えることになったのか?」その理由をひも解きながら、GT-Rと深い関わりを持つ栃木、そして絶好のドライブルートが広がる日光との縁を紹介します。
スポーツカー好きも、旅好きも楽しめる“GT-Rと日光”の物語を覗いてみませんか。
GT-R生産終了はなぜ?3つの理由
2025年8月26日、長年にわたりファンを魅了してきた日産GT-Rが、ついに生産終了を迎えました。
最後の1台は栃木県上三川町にある日産栃木工場からラインオフし、その姿を多くの関係者が見守りました。
では、なぜGT-Rは生産終了に至ったのでしょうか。
その背景には、自動車業界全体が直面している大きな変化が関係しています。
主に3つの理由を挙げることができます。
環境規制の強化
ここ数年、世界各国で排ガスや燃費に関する規制が厳格化しています。
特に欧州や北米ではCO₂排出量の基準が強化され、日本でも燃費性能や騒音規制に関する基準が年々厳しくなっています。
GT-Rは3.8L V6ツインターボという大排気量エンジンを搭載し、その圧倒的なパワーで支持されてきました。
しかし、環境性能においては最新のハイブリッド車やEVに比べると不利な立場にあります。
規制に対応させるには大幅なエンジン改良や新開発が必要となり、膨大なコストが発生します。
日産にとって、その投資を続けるのは現実的ではなかったのです。
部品調達の難しさ
GT-Rは他の車種と共通化できない専用パーツが多く、特にエンジンや駆動系は「GT-Rのためだけに作られてきた」といえるほど独自のものです。
例えば、手作業で組み上げられる「匠のエンジン」や、高負荷に耐えるトランスミッションなどが挙げられます。
しかし、世界的なサプライチェーンの変化や半導体不足、そして専用部品を維持するための生産ラインコストの高さが重なり、安定的に部品を確保することが難しくなっていました。
結果として、少量生産のスポーツカーであるGT-Rを継続するのは採算面で厳しい判断となったのです。
新世代スポーツカーへの移行
自動車業界は今、EVやハイブリッドといった電動化の大きな転換期を迎えています。
日産も「アリア」をはじめとしたEVラインアップを強化しており、将来のスポーツカーも環境性能と両立させた新しいコンセプトが求められています。
現行GT-Rを改良して存続させるよりも、次世代に向けた「新しいGT-R像」をゼロから構築する方が合理的だと判断されたのでしょう。
実際に日産の幹部も「GT-Rは永遠に終わったわけではない」とコメントしており、将来的には電動化された新生GT-Rが登場する可能性も示唆されています。
まとめ
生産終了の背景には、環境規制への対応、部品調達の難しさ、そして次世代スポーツカーへの移行という大きな流れがありました。
つまり、GT-Rの終焉は「時代の要請による必然」だったともいえます。
しかし同時に、GT-Rが持つ走りのDNAは未来に受け継がれる可能性が高く、ファンにとっては“別れではなく次章への始まり”なのかもしれません。
GT-Rは栃木で生まれた名車
GT-Rの歴史を振り返ると、その始まりは1969年に登場した初代「ハコスカ(スカイライン2000GT-R・KPGC10)」までさかのぼります。
当時は神奈川県の追浜工場で生産され、サーキットで圧倒的な強さを見せつけた名車でした。
その後、1973年には2代目「ケンメリ(KPGC110)」が登場しましたが、排ガス規制の影響もありわずか197台のみの生産で幕を閉じ、GT-Rの名は一度途絶えることになります。
1990年代に入ると、「R32 GT-R(1989年〜1994年)」が復活。
グループAレースで無敵の強さを誇り、「GT-R神話」を再び築き上げました。
続く「R33 GT-R」「R34 GT-R」も同じく追浜工場で生産され、90年代から2000年代初頭にかけてGT-Rは日本のスポーツカーの象徴として世界にその名を轟かせました。
そして2007年、GT-Rは新たな時代を迎えます。
「スカイライン」の冠を外し、独立したモデルとして登場したR35 GT-Rは、栃木県上三川町の日産自動車・栃木工場で生産されることになったのです。
以降、2025年の生産終了までの18年間、GT-Rは栃木工場の熟練工による高度な組み立て技術と最新設備の融合によって生み出され続けました。
栃木工場は高級車やスポーツカーの生産拠点としても知られ、GT-R専任のチームが一台一台を丹念に仕上げてきました。
その品質の高さから、R35 GT-Rは「世界に誇るジャパンクオリティ」と呼ばれ、世界中のファンを魅了し続けたのです。
栃木で生まれたGT-Rは、単なるスポーツカーではなく、地元にとっても誇りの象徴でした。
日光や宇都宮へ向かう道路でGT-Rを見かけるのは、栃木だからこそ見られる特別な光景でもあり、地域の人々にとって「世界に名を轟かせる車を生み出す町」に住む誇りとなっていたのです。
GT-Rと日光ドライブの相性
日光といえば、GT-Rのようなスポーツカーが映える峠道が豊富にあります。
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いろは坂:48のカーブが連続する難所で、GT-Rの安定性と加速力を試す舞台。
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霧降高原道路・金精道路:高原の大パノラマを楽しみながら走れる絶景コース。紅葉シーズンには特に人気です。
栃木工場から日光までは車で約1時間半。
生まれたばかりのGT-Rが日光の峠を駆け抜ける姿を想像すると、栃木と日光の結びつきを一層強く感じられます。
GT-Rを感じられる栃木・日光スポット
GT-Rは生産を終えましたが、栃木や日光を訪れることで、その存在を肌で感じられるスポットはまだ多く残っています。
聖地巡礼のように訪れると、GT-Rの歴史や走りを思い出す旅になるでしょう。
ツインリンクもてぎ(モビリティリゾートもてぎ)
栃木県茂木町にあるサーキット「モビリティリゾートもてぎ」(旧ツインリンクもてぎ)は、モータースポーツファンにとって欠かせない場所です。
ここでは国内外のレースが数多く開催され、日産車やGT-Rが参戦した歴史も語り継がれています。
また、サーキット走行イベントやメーカー展示会ではGT-Rに出会えることもあります。
レーシングカー仕様のGT-Rが疾走する姿を目の当たりにすれば、かつての「怪物」の迫力を体感できるでしょう。
さらに、サーキット周辺には家族向けのアクティビティや自然体験エリアも整備されているので、GT-Rファンだけでなく幅広い世代が楽しめる場所となっています。
明智平展望台
いろは坂を登り切った先にある「明智平展望台」は、日光を代表する絶景ポイントです。
ロープウェイでさらに上へ登れば、中禅寺湖や華厳の滝、男体山を一望できます。
ここに立つと、急カーブが続くいろは坂を走り抜けてきた車たちの姿が自然と重なります。
かつてGT-Rがその圧倒的なパワーで峠を駆け抜ける姿を想像すれば、車好きにとって特別な情景となるでしょう。
特に紅葉シーズンは鮮やかな山々とワインディングロードが織りなす景観が美しく、GT-Rのシルエットがそこに浮かぶような気さえします。
栃木工場周辺(上三川町)
日産栃木工場は、R35 GT-Rが2007年から2025年まで生産され続けた“生誕の地”です。
一般公開されている施設ではありませんが、外観を眺めるだけでも「ここから世界へGT-Rが送り出された」という特別な思いを感じられます。
周辺には「道の駅しもつけ」や地元グルメスポットもあり、ドライブの途中で立ち寄るのにぴったりです。
工場を外から眺めてみると、GT-Rが世界中に羽ばたいていった歴史の一端を旅人自身が共有しているような気持ちになれるでしょう。
まさにファンにとっての“聖地巡礼”の地といえます。
GT-Rの生産は終わっても、栃木や日光をめぐるとその存在を随所に感じ取ることができます。
サーキットの轟音、峠のワインディング、そして工場のたたずまい。それぞれがGT-Rの軌跡を今に伝えており、訪れる人に新たな感動を与えてくれるのです。
イニシャルDとGT-R、日光の峠道
漫画・アニメ『イニシャルD』では、R32やR34 GT-Rが登場し、圧倒的なパワーを誇る“最強マシン”として描かれました。
特にR32 GT-Rは主人公のAE86と対比され、ファンの記憶に強く残っています。
日光の「いろは坂」や「霧降高原道路」は、当時の走り屋文化の象徴的な舞台。
直接作品に登場するわけではありませんが、その存在感は大きく、実際にGT-Rが日光の峠を走る姿はよく見られました。
今では観光道路として親しまれていますが、GT-RとイニシャルDを重ね合わせながら走れば、往年の走り屋文化を追体験できるはずです。
まとめ:GT-R生産終了の理由と、栃木・日光で味わう余韻
GT-Rが生産終了となった背景には、環境規制の強化、部品調達の難しさ、新世代への移行といった大きな要因がありました。
最後の1台は栃木工場で生産され、栃木とGT-Rの深いつながりを改めて示す出来事となりました。
GT-R最後の1台の仕様
2025年8月26日に栃木工場からラインオフした最後の1台は、黒いボディカラーのGT-Rでした。
報道映像でもその姿が確認されており、静かに工場を後にする姿はまさに“GT-Rのラストシーン”を象徴していました。
この最後の車両については、一般販売用として市場に出回ることはなく、特別保存車として扱われる可能性が高いとされています。
日産にとってもGT-Rはブランドを象徴する存在であり、単なる1台のクルマではなく「日本のモータースポーツ史に残る記念碑」として保管・展示されることになるでしょう。
GT-Rファンにとっては、その最後の姿が記憶に刻まれるとともに、次世代のスポーツカーに託されたバトンを感じさせる瞬間でもありました。
日光の峠道や観光スポットをめぐれば、GT-Rの歴史や走りを思い出すことができます。
GT-Rは生産を終えましたが、その魅力はこれからも栃木・日光の風景とともに語り継がれていくでしょう。

